
北は北海道、南は沖縄まで日本全国より33市区町、展示風鈴は24種、総数約400点が集まります。 今回は、風鈴のほか、同じく全国の産地より集まったうちわや扇子12種約30点もあわせて展示。透明感あふれる音色に耳を傾け、やさしく風にそよぐ様子を愛で、涼風が吹き抜けるような爽快感をご堪能ください。

本企画の展示品は、開催主旨に賛同された自治体及び出展者より無料提供(貸与)されています。作品の展示・紹介と同時に、産地の観光資料等の設置・配布をホテルゲストに対して実施し、PRの相互協力を行います。 東日本大震災の被災地である岩手県・宮城県・福島県・茨城県の産地についても、観光PR、作品販売協力を行うことにより復興支援をいたします。
047-355-1111(代表)ベルキャプテンデスク

明治39年に建てられた名取高三郎商店を改装し店舗にしております。(小樽歴史的建造物指定) きらめく硝子と小樽の歴史との融合。そんな空間をお楽しみください。当工房では、オーナメントから器まで製作しております。型を使わずに創りますので世界にたった一つの作品がご覧になれます。夏の風物詩"風鈴"もひとつひとつ手作りですので、奏でる音色も異なります。どうぞお楽しみください。
日本最大級の火祭りである「青森ねぶた祭」。毎年8月、世界各地から300万人以上の観光客が訪れます。仰ぎ見るほどの大きさと、鮮やかな色彩が特徴の約20台の大型ねぶたが運行します。また、特徴の一つに、ハネトの大乱舞があります。『花笠』を被り、揃いの浴衣に鮮やかなタスキとシゴキを巻いて、足元には白足袋と草履を身に付けたハネト(跳ね跳)が、笛や太鼓、手振り鉦に合わせ「ラッセラー」のかけ声と共に躍動します。今回は、かわいいミニチュアの花笠と、『南部鉄』で作られた風鈴をお届けします。
豊かな自然と北国の風土にはぐくまれた青森の伝統工芸品です。かつて津軽の西海岸「七里長浜」からすくい上げた砂を原料に加えたところ、思いがけない緑褐色の色が生み出されました。「津軽びいどろ」はその独特で豊富な色合いと優れた技術、職人たちのガラスへの思いが融合した日本を代表するクラフトガラスです。細やかで温かい人情が伝わる逸品をお楽しみ下さい。
水沢の鋳物は約920年前に、平泉文化の主役、藤原 清衡が江州(今の滋賀県)から鋳物職人を呼び寄せ、鋳造したのが始まりといわれています。 南部風鈴の歴史は、昭和40年代で、戦後、鉄瓶に加わる新商品のひとつとなりました。 昭和38年から始まった東北本線・水沢駅の「風鈴飾り」は現在では地元の夏の風物詩として、定着しております。
「たたら製鉄」より生み出された砂鉄地金(わづく)を使用た風鈴で、本体の形が松笠に似ているところから松笠風鈴と命名。製品として市場に出るのは3割程であり、音色によって価格が異なります。宮内庁御用達であり、全国風鈴大会優勝の実績があります。創案は、代々鋳物の家系、10代目の江田庄右衛門が伊達家(宮城)の命を受け研究の末、安永年間(1772)であり、製法は父子相伝により門外不出の秘伝とされ、製品の改善、向上に努めながら現在に継承されています。本作品の製作者である、現23代目当主である江田宸ヘ、江田嘉茂左衛門を襲名し、風鈴の他、大仏、梵鐘等あらゆる分野の鋳物を製作し活躍しています。
いまからおよそ900年前、平安時代の奥羽平定のため源頼義が山形地方を転戦(奥羽の反乱)の際、その時従軍した鋳物師が、山形市内を流れる馬見ヶ崎川の砂と土質が、鋳物に最適であるとことを発見したのが山形鋳物の始まりとされています。その後、斬波兼頼や最上義光らの歴代領主から庇護を受け、「銅町」として全国でも有数の一大鋳物産地となり、足踏式の「たたら」の考案と山形唐金鋳物(ブロンズ)の技術が確立され、梵鐘や灯籠などが鋳造される鋳物産地として発展しました。
手仕事の郷から「涼」をお届けします。古くからの伝統文化が息づく会津喜多方。ここから生まれてくる手造り工芸品を、木之本からご案内させていただきます。その大きな特徴は、かつて一世を風靡した漆器の技法「蒔絵」を大胆に取り入れていることです。一つ一つ手造りで、しかも手描きです。木之本ならではの涼やかな「粋」を感じていただければ幸いです。
益子焼は1853年、大塚啓三郎が笠間で修行し益子に築窯したことに始まります。昭和4年、濱田庄司(人間国宝)が益子に移住。柳宗悦(やなぎむねよし)や河井寛次郎(かわいかんじろう)らと共に、日本各地の雑器の中の"美"に目を向け、民芸運動を起こします。この運動を通じて、濱田庄司の作品は世界的に高い評価を得、益子焼の名を一躍有名にし、窯元の数はうなぎ登りで増えていきました。そして、数々の窯元・益子の人々の努力により現在の益子焼のブランドは創られてきたのです。(思想家で民芸運動の中心人物でもある柳宗悦は、"バタフライ・スツール"等で知られる工業デザイナー"柳宗理"の父である)
風鈴は中国より仏教などと一緒に渡来し、お寺の四隅にかかっている風鐸などが代表的であり、その音が厄除けとして使われていました。また、ガラス製の風鈴が世に出はじめるのは、約1700年頃とされ、長崎のガラス職人がガラスを見せ物として大阪、京都、江戸にて興行しながら伝わりました。「売り声もなくて買い手の数あるは音にしらるる 風鈴の徳」 江戸時代末期、風鈴売りが天秤に沢山の風鈴をぶら下げ江戸八百八町を売り歩き、江戸風鈴の涼やかな音が一世を風靡しました。江戸風鈴は、旗本であった桜井氏より、でこ松、酒井硝子を経て、初代「篠原又平」へと伝わりました。下の口の部分がキザキザに作られており、ふり管が触れるだけで涼やかな音が出るのが特徴です。
小田原工芸鋳物について 小田原の鋳物は室町時代に二代北条氏綱の庇護の元に栄え、受け継がれてきました。 しかし数十軒あった工房も現在ではただ一軒となってしまいました。主な製品は銅合金の一つである砂張(さはり)を原料とし、余韻が長く、音色が良く見た目も美しいのが特徴です。その他花瓶、文鎮なども製作し、記念品等に多く利用されています。【出展品目について】鈴虫風鈴、松虫風鈴、吊鐘風鈴は共に真ちゅう製ですが、工場独自のブレンド(工場では藤兵衛地金と言っている。)で製作しており、良い音色に仕上げています。それぞれ一個の製品に一個の型を作り、一つ一つ手作業で仕上げる為、多少音色が違います。
鉄製風鈴は、美術置物の鋳物を得意とする高岡の鉄鋳物職人達が、一品一品真っ赤に溶けた鉄を型に流し、心をこめて作り上げています。 また、真鍮製風鈴は、銅と亜鉛の合金で、お鈴で培われた技術を活かし、職人が音律をととのえて、一品一品職人の手により仕上げられています。 おすすめは、日本の建物と祭りの風情で人気な「角型風鈴」、震災の復興の祈りを込めて製作した「折鶴風鈴」です。
多治見市をはじめとする岐阜県の東濃西部一帯は、国内最大の生産量を誇る「美濃焼」の陶磁器産地です。美濃焼は1,300年の歴史を持ち、安土桃山時代から江戸時代初頭にかけては、志野、瀬戸黒、黄瀬戸、織部といった、主に茶道の器が盛んに焼かれました。また、夏の気温が日本一暑い多治見市(2007年8月16日に40.9℃を記録)では、毎年7月に市内の公共施設に美濃焼の風鈴を吊るして涼を楽しむことが夏の風物詩になっています。
静岡の伝統的工芸品「駿河竹千筋細工(するがたけせんすじざいく)」は、その名の通り細い竹の丸ひごを駆使し、繊細な技・優美なデザインをした製品が特徴です。市内を流れる清流“安倍・藁科川”は、古くから良質な真竹・淡竹の生産地で、江戸時代の頃からこの地の竹細工は「駿河細工(するがざいく)」と呼び親しまれ、多くの行きかう人々に土産物として買い求められていたそうです。涼しげな「駿河竹千筋細工(するがたけせんすじざいく)」の技法に、「南部風鈴」を組み合せ、より一層涼しげな風合いを醸し出しています。
2001年、西伊豆の小さな村・賀茂村(現西伊豆町)の地域起こしとして誕生した「かも風鈴」。地元在住のガラス作家が手づくりでつくるガラス風鈴で、地域をイメージしたデザインや、一般公募したデザインなどそのオリジナルのデザインと、一般的なガラス風鈴より肉厚で、響きの良い音色が特徴。見た目、音色共に涼を運んでくれる風鈴です。
約1,300年の歴史をもつ瀬戸焼。明治後期になると輸出向けを中心にノベルティ(陶磁器製の置物などの装飾品)が盛んに作られるようになりました。 「せと風鈴」は、ノベルティ製品を作りだす「石こう型」「鋳込み(いこみ)」の技術を活かし、金魚や招き猫など従来の常識を打ち破ったユニークな発想とバラエティに富んだ品数、良質な土がもたらす音色の良さが人気を呼んでいます。
室町時代末期より日本の各地で木綿の生産が始まり、伊勢の国においても一時大きな産業となっていましたが、現在伊勢木綿を生産するのは当方だけとなっております。国内での繊維製品の生産は減少していますが、明らかにその製品が他国と違い日本でしか出来ない風合いや手触りがあります。今回出展する風鈴は手作りで、短冊のところに木綿を使用しており、風に良くなびきます。
はまぐり風鈴は、伝統的な地場産業である鋳物技術を生かした商品で、桑名の名産品である「はまぐり」とともに土産品として普及させることを狙いとして製作しました。 はまぐり型の風鈴部分は地域特産品の鋳物を利用し、また短冊部分には桑名の観光名所である七里の渡しと桑名市のキャラクター「ゆめはまちゃん」を取り入れ、愛らしい音色を奏でます。
今から1000〜1200年余り前、白鳳時代から平安時代にかけて、布引山系では須恵器や緑彩陶器が焼かれていました。緑彩陶器とは、中国の唐三彩を真似てつくられた古代の緑色の美しい陶器です。琵琶湖東岸地域の陶器産地として長く栄えましたが、その後1千年以上もの間途絶えていました。1970年代に、陶芸家・小嶋太郎が現代風に再現することに取り組み、その過程で独自に開発したのが、深みのある透明感を持った多様な色彩の窯変釉を使った美しい絵付けの技法「七彩天目」でした。 風鈴は特に「音」にこだわり、陶器でどこまで透明な音を出せるかを追求しました。
兵庫県の伝統工芸品に指定されている明珍火箸は、平安時代から続く甲冑師の明珍家が千利休に依頼されて茶室用の火箸として作られたのが始まり。火箸はツクシ型、ワラビ型、カワラクギ型、ツヅミ型など20種類ほどあり、この火箸を打ち合わせると澄んだ音色を響かせることから、明珍家52代宗理(むねみち)さんが考案し、風鈴やドアチャイムとしてアレンジ。人気を集めています。
日本六古窯の中でも備前焼は昔ながらの登り窯、松割り木の燃料を用い無釉焼き締めの伝統を守りつづけている焼き物です。備前市伊部は多くの作家や窯元の店舗が軒を並べ、一千年の間窯の火を絶やしたことのない産地で、伝統的な作風や個性豊かな作品を販売し、素朴でぬくもりを感じられる備前焼でファンを魅了しています。備前焼の土(ひよせ粘土)は鉄分が多く含まれているので、その土で制作された風鈴は、金属音の涼しげな音色です。
当窯元は現在7軒ある大谷焼窯元の一つです。 親子二人(悦光・裕紀)とパートの方が数名という比較的小規模にて、陶器の製造、併設の店舗での販売、陶芸教室を運営。食器類、置物、花器といった皆様にも身近なもの商品を中心に揃える。特徴の一つに、ガス窯や電気窯によって焼いた作品に加え、 「穴窯(あながま)」という薪窯で焼き上げた作品がある。
砥部焼の歴史は、遠く江戸時代(安永4年)までさかのぼります。当時の大洲藩主加藤泰候の命を受け、藩の財政を救うために始められた磁器業が困難を極めていた時、杉野丈助という一人の男の手によって生み出されました。白磁の温かな肌に、呉須絵の深い味わい。さりげないやさしさとぬくもりを感じさせてくれるその佇まいは、 まるで先人たちの情熱を伝えてくれるかのように、今も砥部焼の大きな特色として多くの人々を魅了しています。
世界屈指の陶磁器の産地として、400年の歴史を持つ有田焼。 私達「親和伯父山」は、先人陶工から受け継いだ技術を活かしつつ、「新しい有田焼への挑戦」をコンセプトに、日用食器から割烹食器、サニタリー、和雑貨等幅広く制作しております。
波佐見焼は400年余りの歴史と伝統を持つ長崎県の陶磁器産地で、国の伝統工芸品の指定も受けています。網目焼は産地独特の技法として伝承されてきたもので、陶土を一張り、一張り手作りで網目に組み、透き通るような白磁に焼成したものです。波佐見焼独特の美術工芸品として高く評価されています。
琉球ガラス村は沖縄県糸満市に位置する手作りガラス工房です。琉球ガラスの歴史は戦後、駐留米軍からのオーダー製品を廃ビンなどを原料として製作したのが始まりで国内外のガラス工房に比べまだ歴史は長くありませんが南国ならではの色やデザインをイメージしながら製作しております。沖縄の色・形を感じて頂ければと願い製作致しました。
手仕事の郷から「涼」をお届けします。 古くからの伝統文化が息づく会津喜多方。ここから生まれてくる手造り工芸品を、木之本からご案内させていただきます。その大きな特徴は、かつて一世を風靡した漆器の技法「蒔絵」を大胆に取り入れていることです。一つ一つ手造りで、しかも手描きです。木之本ならではの涼やかな「粋」を感じていただければ幸いです。
「雪村うちわ」は室町時代の天正年間、常陸太田市の瑞竜町にある耕山寺に住んでいた雪村(画人・禅僧)が創始者で、水戸徳川家第2代藩主の徳川光圀公も愛用、奨励したといわれます。 製作あたっての33の工程はすべて手作業で行われており、手間がかかるために年間2000本ほどしかつくられておりません。骨には地元産のマダケを使用。また、紙には常陸大宮市の西ノ内和紙を用いて、図柄には雪村ゆかりの水墨画が施されています。
「房州うちわ」は、京都の「京うちわ」、丸亀市の「丸亀うちわ」とともに日本の3大うちわの一つであり、千葉県を代表する伝統工芸品です。「房州うちわ」は、竹の選別に始まり、割竹、弓削、貼り等全21工程すべて職人の手作業で行われています。 「房州うちわ」の特徴は、竹のまるみを活かした「丸柄」にあります。また、竹を48〜64等分に割いた骨を糸で編んで作られる半円で格子模様の美しい「窓」も魅力的です。
日本で最初に扇(扇子)が登場するのは、天平宝字6年(762年)の項に「特に功績のあった老人に杖と共に宮中で扇を持つことを許した」とされています。その後、源平合戦の頃、屋島の戦いの英雄となった那須与一が射落としたのが、平家の船に掲げられた旭日扇。近代、日本舞踊に使われる舞扇、結婚式の婚礼扇、日本間を彩る飾り扇、茶扇、講座扇など、用途は様々に広がり、日本情緒を感じたり、表現したりするのに欠かせないものとなっていきました。江戸扇子の特徴としては、きらびやかな京扇子に比べ、骨の数が15〜18本と少なく、折幅も広い、地味ながらも粋でシンプルな風情を表しているものが多いことが挙げられます。
宝暦年間(1751〜64)に京都から現在の西区幅下(亀古屋城下)あたりに移住してきた井上勘造親子によって始められたとされます。名古屋は京都と並ぶ二大産地であり、京都が婦人物及び舞扇、飾扇ほか高級品を対象としているのに対し、名古屋扇は祝儀扇や男物の量産品が主体として発展してきました。大正時代には中元用等、贈答品として広く利用されはじめ、近代では冷房設備の普及により、夏用の需要が減少しましたが、日本文化の見直しとともに、贈答用、祝儀用、イベント用、記念扇、祝儀扇、舞踊扇などにも利用されるようになりました。
日永うちわは江戸時代よりお伊勢詣りのみやげ物として盛んに作られていました。往きに気に入った絵柄を注文して、帰りに再び立ち 寄り、出来上がった日永うちわを全国に持ち帰ったと言われています。 一本の細い竹をそのまま使っているので、柄が丸く、手によくなじみ、持つとひんやりと心地よい感触がします。また、女竹を細かく割いて、交互に袋状に編んでいるので、竹が弓のようにしなり、あおぐ風が柔らかくなびくというなんとも優雅な持ち味が出るのです。 江戸より続く伝統と技が、他にはまねの出来ない本物の風を生み出しました。
茄子団扇は、扇面根元を茄子のヘタに見立てて漆を施した、独自の仕立ての軽くて丈夫な団扇です。 江戸後期、津(三重県)藩士により考案された優美な団扇で、物事を「成す(なす)」に通ずる縁起良い名と共に将軍家への献上品など、武士のみに使用を許されていました。明治になり一般に流通するようになりましたが、昭和40年頃に途絶えてしまいました。その後小社先代が復活させ、現在は賀来智子が骨作りから仕上げまで一人で製作しています。
室町時代末期より日本の各地で木綿の生産が始まり、伊勢の国においても一時大きな産業となっていましたが、現在伊勢木綿を生産するのは当方だけとなっています。国内での繊維製品の生産は減少していますが、明らかにその製品が他国と違い日本でしか出来ない風合いや手触りがあります。今回出展する扇子は、木綿の着物と共柄で扇子袋、扇子に紙の変わりに木綿がはってあります。糸を染めてから織っているので、色の出方がしっかりしていて鮮やかです。
「大津絵」は、江戸初期より大津の地にて受け継がれてきた伝統の民画です。「鬼の寒念仏」や「藤娘」などの人気の図柄を、今も当時そのままに伝承しております。その「大津絵」を、一枚一枚うちわに描いたものが、「大津絵手描きうちわ」です。決まった色味の泥絵具で手描きしたうちわは、大津絵伝統の技法を活かしております。
扇子の土台である扇の骨は、近江の伝統産業として300年の歴史を誇り、全国の90%を滋賀県高島市で作られています。当社オリジナルの大津絵を描いた男性用『鬼の念仏と藤娘』、女性用『大津絵藤娘』、琵琶湖名産の『鮎』の柄の扇子で、涼をお届けさせていただきます。
丸亀うちわは、江戸時代金比羅参りに来る人々の土産物として渋うちわが全国に広がりましたが、現在は全国のうちわ生産量約9割を占めるといわれています。丸亀うちわの特徴は、男竹平柄(おだけひらえ)といい持つところが平らであるというところです。軽くて持ちやすく、扇いで柔らかい風が特徴です。そして平成9年5月に国の「伝統的工芸品」に指定されました。
熊本県の伝統的工芸品に指定されている「来民うちわ」は、熊本県山鹿市鹿本町来民で作られ、京都や丸亀とともにうちわの三大産地とされてきました。和紙と竹の材料に恵まれていたため、うちわの生産が盛んになり、昭和初期には年間600万本のうちわを生産したといわれています。戦後、次第に衰退し、現在は一軒だけで作られています。和紙に柿渋を塗って丈夫にしてあるのが特徴です。